またね(M@STER VERSION)
またねって別れた卒業式
もう
いつのことだよ
そんなことも曖昧になったぼくです。こんばんは。
これを書き始めたのは寝れないからで、それ以上でも以下でもないので、実のあることは何も書きません。文字の羅列を見たい方にオススメです。それ以外の方には虚無を与えます。ページを閉じることもさもありなん。
ご了承いただいたとして、続けます。
話したいのは、アイドルマスターの楽曲「またね」が好きすぎるって話。
その前置きとして自分語りタイムです。
高校生の頃の話をします。
またねって別れた卒業式、覚えてますか?
ぼくは全然覚えてないです。
ぼくってオタクなので、そういうエモい(表現放棄)イベントって結構覚えてる方で、中高の文化祭とか、中学の卒業式とか、高校の体育祭とかはそこそこ覚えていて、エモーショナルだけ感じたいから都合よく過去に戻ってまた現在に帰ってきたいなとか考えます。
けれど高校の卒業式だけは思い出せない。
式の後なら覚えてることもあって。みんなが卒業式のあと下校していく間も職員室や農場(農業高校だった)で挨拶やらをして、ぼくが帰ったのは全校生徒の中でも最後の方だった。人がいなくなってやっと、終わったという感覚を味わえた気がした。
式を覚えていない理由に心当たりはある。ぼくはその式で卒業できていなかった。
「いつもみたいにみんなでひとりずつ紙を受け取って、さみいって心の中で愚痴りながら色んな人の話を聞いて、校歌と国歌歌って帰るイベント」
ぼくの中の認識がこれだけだったんだと思います。
いや、みんなそう思ってるよって感じだと思うんですけど、ぼくの問題はこのイベントで最後だって思えなかったという一点。
言ってしまえば、卒業式の後を考えてなかったけど、その後だっていつもみたいなことがあるんでしょって心構えだった。頭ではそんなふうに考えてなかっただろうけど。
ちゃんと卒業できた人はきっと、これが最後だとちゃんと理解していたんだろうな。
高校生活っていう1つの軸があったとして、本来その終点が卒業式で、その点を打てた人は卒業できたんだろう。ぼくは卒業式という点をうまく終点にできなくて、軸の行先を失って迷って、人のいない学校で終点だったということをやっと悟って、大学生活という新しい軸で上書きして繋ぎ合わせた。
だから「またねって別れた卒業式」は、ぼくの中にはない概念である。
そんな卒業式があったらきっとぼくは覚えていただろうし、「もう2ヶ月前だけど、あれから一度でも会えない」なんて言葉が出るほど、短い時間時間を心に刻んで感じれたんだろうなと思うと本当に卒業しておかなかったことを後悔する。
受験も落ちてるし(?)
でも、当たり前だけど人は、自分が絶対に持ち得ないものは外部に求めるしかない。
つまり、「またねって別れた卒業式」なんて概念を鮮明に形にしているその歌に、ぼくは自分が持ち得ないものを求めている。
だからぼくは、どうしようもなくこの歌に惹かれるし、離れられない。
そんな話。