まあ説明を求める人もいないし

フラッター現象の顛末と単一指向性の感情論の歌詞において、1番岸田っぽい歌詞、ここ。

何でそう感じるんだろう、岸田の歌詞を思い浮かべると「〜だね」「〜だろうけどさ」「〜かもしれないね」みたいなイメージがぼくの中にあるんだけど。

メロディとかコード進行とかもそんな気にさせてるのかなあ、わかんないやあ(ヘラヘラ)

 

そんな今日です。こんにちは。

 

突然なんですけど、田舎と都会の違いって何だと思いますか?

僕は長野県中野市というマジのガチ田舎で生まれ、育ち、18の頃横浜に住み始めて早何年?といったところなので、田舎も都会もこの目で見てきたと言って差し支えないかもしれないね。(feat.岸田)

そうやって暮らしていると、田舎と都会、何が違うかなあって考えることは何度かあります。特に僕は、趣味が音楽やらゲームなので、どこにいてもやること変わらないというのは強く感じます。ですが、僕が実家に帰りたいか?と考えた時、答えは「帰りたくない」です。なんでだろう。

冷静に分析したんですけど、人が多いとか建物が高いとかそんなのはどうでもよくて、ただ、僕は『誰と生きるか』に重きを置いてしまうたちで、実家に帰ったとしてそこにいる両親や祖父母たちと暮らさなきゃいけないことを考えると普通に嫌。なんのために必死に勉強して上京したと思ってんねん。というところである。

 

ただ、地元の友達は好きだし、地元の近くで暮らすとかならそれなりに面白そうなのかなあともたまに考えます。なんて言っても、地元の友達と今でも普通にオンラインでゲームをするのでどこに居ようと関係ないか。という結論に落ち着いてしまうね。現代社会って感じ。

モーヴ「地元の友達の話、嬉しそうにしないでよ」

閑話休題(阿良々木暦)

 

そうして考えると、最終的に僕はどう生きたいんだろう?となるのは必然なんですけどそんなのもう答えは出ていて、隣に居て欲しい人と生きる、ただそれだけなんだよな。

正直それが友達でも恋人でもいいけど、人生かけていいやつと生きたい。それさえあれば多分場所とかはどうでもいいな。

 

そんなバカ重い気持ちを抱えてこの曲を聴くとあまりにも切実です。祈りです。叫びです。人生です。

それでは聴いてください、ラブコール。

 

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